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アルベルト・アインシュタイン
逆境

父は息子を「失敗作」と信じたまま死んだ

「この子は社会に出て生きていけないのではないか」

1902年、ベルン。アルベルト・アインシュタインは特許局の小さな机に座り、他人の発明品の書類を一枚一枚めくっていた。26歳だった。チューリッヒ工科大学を卒業してから、もう数年が経つ。

大学を出た後、彼は教職の口を探し続けた。しかし、どの大学も彼を採用しなかった。推薦状を書いてもらえる教授もいなかった。物理学への執着が強すぎる、融通が利かない、そういう評判が漂っていた。家庭教師の仕事をいくつか掛け持ちしながら食いつないだが、それも長続きしなかった。

父ヘルマンは、息子の行く末をずっと案じていた。口には出さなかったが、「この子は社会に出て生きていけないのではないか」という失望が、晩年の顔に滲んでいた。1902年10月、ヘルマンはアインシュタインが特許局に滑り込んだ翌月に息を引き取った。息子が人類の歴史を書き換える論文を書くよりも、3年も前のことだ。父は、息子が「成功した」姿を一度も見ることなく死んだ。

特許局での仕事は、傍目には地味だった。薄給で、華やかさはない。しかし皮肉なことに、この「ただの役人の仕事」こそが彼を救った。毎日決まった時間に出勤し、決まった時間に帰宅する。その規則正しさの中に、思考のための余白が生まれた。帰宅後の夜と、机の引き出しの奥で、彼は自分の論文を書き続けた。

1905年、アインシュタインは4本の論文を立て続けに発表した。光量子仮説、ブラウン運動の理論、特殊相対性理論、そして質量とエネルギーの等価性を示した論文。後に「奇跡の年」と呼ばれるこの年、彼はまだ特許局員だった。

世界が彼の名前を知るのは、それからさらに数年後のことになる。

才能があれば報われる、という話ではない。才能があっても、周囲に認められず、父に失望され、食べるために書類仕事をこなしながら、それでも考え続けた人間がいたという話だ。報われたのは、諦めなかったからではなく、諦める理由があっても、ただ続けていたからかもしれない。

暗闇の中での積み重ねは、見えない。でも消えてはいない。

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